id:Apemanさま

いまさらの議論なのやもしれないのですが、一点お聞きしたいのです。
一通り、議論は読んだつもりですが(少なくとも主要なところは)、あなたの主張でどうしても受け入れることのできないことがあります。
あまりにモヤモヤするので、アカウントを取った次第です。


経営学の授業で、なぜトリアージを扱うべきで無いか、ということについて、です。


私は経営学については一般向けの書籍いくつかと、大学での専門課程でない授業を受けたのみですが、
wikipediaではこのようになっているように、

経営学(けいえいがく;business administration, business management)とは、広義には組織体の運営について研究する学問分野である。対象は企業組織とする場合が多いが、企業組織に限定せずあらゆる組織体(自治体・NPO法人など)が経営学の対象となりうる。

どのようにしたら、組織がうまく機能し、その目的を達成することができるか考える学問と理解しています。


であれば、救急医療という組織において、ある条件下で、効果的であるトリアージという手法を取り上げるのは、自然なことではないですか?
それこそたとえではなく、有限な資源で最大限の効果をあげようとする組織のです。


http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080813/p6
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C497052863/E20080603165413/index.html
などを拝見するに、Apemanさんは、経営学の授業でトリアージを引き合いにだしたことを問題視されていますが、
私はごく自然なことだと考えます。

なぜならば、トリアージがいったん、たとえば我らが経営学者様の手にかかって、救急救命の手を離れ一般的に通用する理論としてみなされたとき、上のような全体主義思想が復活するのです。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080523/p1 強調引用者

hokusyuさんのこの箇所などは、fuku33氏が、どこで「一般に通用する理論」としてあつかったのか全く読み取れません。
四川大地震などを例に、非常に切迫した状況で、トリアージという考え方で、最善の結果を得ようとすること、を説明したんですよね。
どこで一般化しているんでしょうか?
ある限定された状況での例として、問題があるとは思えません。


緊急であり、時間に制約があるから、平時と同一視すべきでないという議論も記憶していますが、
緊急時の事例から学ぶことは多いのではないかと考えます。
緊急時が経営学埒外だとは思えません。


大学の授業ですから、おそらく半期はあるでしょう。
半期の授業で、一回トリアージを扱うのはそんなに変なことだとは思えないんですが。
また、様々な組織の例を知ることは、専門課程でない経営学の授業では有益だとも思います。

資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップや組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる
http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127

これが良くないんでしょうか?
しかし、これを否定しては、経営学ってものが成り立たないんじゃないでしょうか。



ホロコーストと「同じ」構造をもつから、その危険性をあわせて教えるべき、ということならば解りますが。
扱うべきでないという理由が解らないのです。


私は、議論が拡散してしまうので、判定するものの心理的負荷や、判定の難しさ、トリアージの作業の過程で犠牲となる人がいる可能性などを説明すれば、十分なのではないかと考えますが。


まさか、お嬢様大学の学生には、トリアージの本質は理解できなくて危険!
と仰りたい訳ではないですよね。


トリアージ的なロジックが、ホロコーストと類似した構造をもつということは理解できますが、
だからといってそれを経営学の授業で扱うべきでないというのは無理があります。
(fuku33さんの授業がどうであったかは、あまりに情報が少ないので問題としないとして)


勝手なエントリーでありますが、返答いただければ幸いです。