邪推のしすぎじゃありませんか

http://d.hatena.ne.jp/ohkami3/20080816


完全に横槍ではあるのだが、
http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20080817/1218985637
での
以下のCloseToTheWallさんによるコメントでの

そりゃあ、この大学のOGが、福祉業界に入って数年で燃え尽きてしまうというのは当たり前だよこれじゃ。この人たちの目に映るのは「目の前の最善」だけで、「全体や組織から見た最適」というのはコンセプト自体が頭の中にないのだ。

この部分で、福耳先生は、OG(女性ですよ)が燃え尽きるのは、「合目的的な資源配分」をして、どうしようもない部分は切り捨てるのは仕方がない、という理性的な判断が出来ないから、燃え尽きるのだと考えておられます。「目の前の最善」だけでやっているから、燃え尽きるのだ、と非難しておられますが、考えてみてください。福祉業界でOGたちが燃え尽きないように合目的的な資源配分をして切り捨てられるのは誰ですか。福祉を受けなければならないような人たちですよ。切り捨てられたら死ぬ、という人も多いんじゃないですか。ここで明らかに福耳先生はトリアージ式経営論を、平時の福祉業界に対して適用されるべきだと考えておられる。

しかし、むしろ、OGたちは「人道的」な「かわいそう」という発想を強靱に発揮するからこそ、自分自身を切りつめて燃え尽きるんじゃないですか。それを防ぐには社会的政策として、福祉業界への保障を増やすしかない。しかし、福耳先生は決してそうしたリソースが絶対的に不足しており、リソースの不足が許されないような状況においても、「資源の有限性を前提にした合目的的な配分」にこだわっている。「誰かを切り捨てなければならない」という犠牲を必然とする思考回路に嵌り込んでいる。福耳先生にとっては、なぜか「資源の有限性」は絶対的な信念に変わってしまっている。上記部分はそう読むことしかできないと思いますが。


これらは、あまりに予断をもってfuku33氏の発言を読んでいないだろうか。


これを普通に読むなら、

「そんな重傷者をもう助けないなんてレッテルを貼るなんて、人権侵害じゃないですか?」と書いてきたお嬢さんもいた。そりゃあ、この大学のOGが、福祉業界に入って数年で燃え尽きてしまうというのは当たり前だよこれじゃ。


fuku33さんは、
・福祉業界には様々な制約(金・人)の中で、対象者により良いケアを実施しようとしている。
・大学のOGは目の前の要介護者により良いケアを、という理想と、厳し現実の前に板ばさみになり、燃え尽きてしまう人がいる。
経営学の考え方が、そういった人の助けになるはず
と考えている。


と読むのが自然なんじゃないだろうか?


邪推のしすぎじゃありませんか?

id:Apemanさま

いまさらの議論なのやもしれないのですが、一点お聞きしたいのです。
一通り、議論は読んだつもりですが(少なくとも主要なところは)、あなたの主張でどうしても受け入れることのできないことがあります。
あまりにモヤモヤするので、アカウントを取った次第です。


経営学の授業で、なぜトリアージを扱うべきで無いか、ということについて、です。


私は経営学については一般向けの書籍いくつかと、大学での専門課程でない授業を受けたのみですが、
wikipediaではこのようになっているように、

経営学(けいえいがく;business administration, business management)とは、広義には組織体の運営について研究する学問分野である。対象は企業組織とする場合が多いが、企業組織に限定せずあらゆる組織体(自治体・NPO法人など)が経営学の対象となりうる。

どのようにしたら、組織がうまく機能し、その目的を達成することができるか考える学問と理解しています。


であれば、救急医療という組織において、ある条件下で、効果的であるトリアージという手法を取り上げるのは、自然なことではないですか?
それこそたとえではなく、有限な資源で最大限の効果をあげようとする組織のです。


http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080813/p6
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C497052863/E20080603165413/index.html
などを拝見するに、Apemanさんは、経営学の授業でトリアージを引き合いにだしたことを問題視されていますが、
私はごく自然なことだと考えます。

なぜならば、トリアージがいったん、たとえば我らが経営学者様の手にかかって、救急救命の手を離れ一般的に通用する理論としてみなされたとき、上のような全体主義思想が復活するのです。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080523/p1 強調引用者

hokusyuさんのこの箇所などは、fuku33氏が、どこで「一般に通用する理論」としてあつかったのか全く読み取れません。
四川大地震などを例に、非常に切迫した状況で、トリアージという考え方で、最善の結果を得ようとすること、を説明したんですよね。
どこで一般化しているんでしょうか?
ある限定された状況での例として、問題があるとは思えません。


緊急であり、時間に制約があるから、平時と同一視すべきでないという議論も記憶していますが、
緊急時の事例から学ぶことは多いのではないかと考えます。
緊急時が経営学埒外だとは思えません。


大学の授業ですから、おそらく半期はあるでしょう。
半期の授業で、一回トリアージを扱うのはそんなに変なことだとは思えないんですが。
また、様々な組織の例を知ることは、専門課程でない経営学の授業では有益だとも思います。

資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップや組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる
http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127

これが良くないんでしょうか?
しかし、これを否定しては、経営学ってものが成り立たないんじゃないでしょうか。



ホロコーストと「同じ」構造をもつから、その危険性をあわせて教えるべき、ということならば解りますが。
扱うべきでないという理由が解らないのです。


私は、議論が拡散してしまうので、判定するものの心理的負荷や、判定の難しさ、トリアージの作業の過程で犠牲となる人がいる可能性などを説明すれば、十分なのではないかと考えますが。


まさか、お嬢様大学の学生には、トリアージの本質は理解できなくて危険!
と仰りたい訳ではないですよね。


トリアージ的なロジックが、ホロコーストと類似した構造をもつということは理解できますが、
だからといってそれを経営学の授業で扱うべきでないというのは無理があります。
(fuku33さんの授業がどうであったかは、あまりに情報が少ないので問題としないとして)


勝手なエントリーでありますが、返答いただければ幸いです。